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山口地方裁判所 昭和50年(ワ)27号 判決

原告

宿谷清

被告

株式会社大和

ほか一名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

(原告)

1  被告らは原告に対し各自金一四四九万二三一九円とこれに対する本訴状送達の日の翌日から右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払うこと。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言。

(被告ら)

主文と同旨

第二当事者の主張

(原告の請求原因)

一  傷害交通事故の発生

とき 昭和四三年二月二八日午後二時三〇分ころ

ところ 山口県宇部市常盤町二丁目交差点

事故車 普通乗用自動車

右運転者 被告加藤明

態様 原告が第一種原動機付自転車を運転して右交差点を右折しようとしていたところ、その右斜め後方から事故車が進行して来て右原動機付自転車に衝突し、原告がその場に転倒した。

受傷 右事故により原告は右肘、右大腿部・腰部挫傷の傷害を受けた。

二  帰責事由

被告加藤明

根拠 民法七〇九条

事由 右事故は、同被告の前方注視義務違反等による一方的過失に起因するものである。

被告株式会社大和(以下「被告会社」という。)

根拠 自動車損害賠償保険法三条

事由 被告会社は事故車の保有者であり、本件事故は事故車の運行によつて生じたものである。

三  損害

1 休業損害 合計金四五八万六、三九一円

右算出の根拠として符記すべきものは左のとおり。

職業 株式会社日本文化通信社従業員

月収 金三万三、三〇〇円

但し、昭和四四年以降毎年一五パーセントを下らない物価指数の上昇に伴う増額がある。

休業期間 昭和四三年三月(事故発生の翌月)から昭和五〇年三月まで。

算式 昭和四三年(三月~一二月) 金三三万三、〇〇〇円

右算式 33,300×10=333,000(円)

昭和四四年 金四五万九、五四〇円

右算式 333,000×12×1.15(上昇率一五パーセント)=459,540(円)

昭和四五年 金五二万八、四七一円

右算式 459,540×1.15=528,471(円)

昭和四六年 金六〇万七、七四一円

右算式 528,471×1.15=607,741(円)

昭和四七年 金六九万八、九〇二円

右算式 607,741×1.15=69,890(円)

昭和四八年 金八〇万三、七三七円

右算式 698,902×1.15=803,737(円)

昭和四九年 金九二万四、〇〇〇円

右算式 77,000(月収額×12=924,000(円)

昭和五〇年(一月~三月) 金二三万一、〇〇〇円

右算式77,000(月収額)×3=231,000(円)

2 逸失利益 金三七六万五、九二八円

右算出の根拠として特記すべきものは左のとおり。

後遺症 自動車損害賠償保障法施行令二条の別表後遺障害等級七級に相当(具体的症状は後記)

労働能力喪失率 五六パーセント

就労可能年数 九年(昭和五年五月生、新ホフマン係数七・二七八)

算式 924,000(年収額)×0.56×7,278=3,765,928(円)

3 慰藉料 金四八四万円

右算出の根拠として特記すべきものは左のとおり。

通院 昭和四三年二月二九日(事故の翌日)から昭和四五年一一月二五日まで山県外科・整形外科医院(防府市)に通院して治療を受けた。

後遺症 右通院をやめてからも右大腿部筋腿直状態(左大腿周囲より右大腿周囲の方が三・〇~三・五センチメートル細い。)の症状があつて、右大腿内側と腰部に常に激痛が生じ、このため歩行等に困難を来すなど(駆け足不能、正座不能)右下肢の運動機能に著しい障害を留め、昭和五〇年三月右症状が固定した。

請求額 通院中の精神的苦痛に対する慰藉料として金一五〇万円、後遺障害による精神的苦痛に対する慰藉料として金三三四万円を請求する。

4 弁護士費用 金一三〇万円

事由 原告は訴訟代理人吉川五男に本件訴訟を委任した際、その報酬として成功額の一割を支払う旨約した(但し、本訴係属途中辞任)。

四  本訴請求

よつて、原告は被告らに対し合計金一四四九万二、三一九円とこれに対する本訴状送達の日の翌日から右完済に至るまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(被告らの答弁)

一  請求原因一記載の事実中、事故車の車種、事故態様の点を争い、原告受傷の部位、程度は不知、事故車はニツサンセドリツクライトバン(普通貨物自動車)で、事故態様は、事故車が交差点手前で前車に続いて赤信号に従い停止し、青信号になつて発進した直後、原告運転の第一種原動機付自転車がその前部を事故車の左後部に自ら衝突させたものである。

二  同二記載の事実中、被告加藤に過失があつたとの点は否認し、その余は認める。仮りに被告加藤に何がしかの過失があつたとしても、原告が右折進行するに当り右方直進車の動向配慮不充分のまま進行した過失にこそ本件事故発生の要因がある。

三  同三記載の事実中、原告が昭和四三年二月二九日から昭和四五年一一月二五日まで山県外科・整形外科医院に通院したことのみ認め、その余はすべて争う。

右通院期間中の治療費、休業損害はすべて自賠責保険(金五〇万円)と労災保険で支弁されており、右昭和四五年一一月二五日の最終診療の際、山県医師は特定の精神障害や筋肉の「しこり」・「ねじれ」・運動障害もなく、後遺障害を留めないで治癒したものと診断している。さればこそ原告は自賠責保険での後遺障害認定もその補償も受けていないものである。若し、原告が現に器質的ないし機能的障害(いわゆる何らかの後遺障害)を有しているとしても、それと本件事故との相当因果関係の存在を否認する。

(被告らの抗弁)

一  本件損害賠償請求権については、事故発生の日たる昭和四三年二月二八日(この時原告は被告会社が加害車の保有者として、被告加藤が加害者としての賠償義務者たること及び損害の発生を知つた。)から三年が経過した昭和四六年二月末日限り民法七二四条所定の時効期間が満了している。仮りに、原告主張の後遺障害による賠償請求権の発生が肯定されるとしても、昭和四五年一一月二五日前記山県医師が、治療を打切つた時点で原告主張の症状は固定しているもので、当時これによる損害の発生も当然予測しうる状態にあつたのであるから、同日より三年が経過した昭和四八年一一月二五日前記消滅時効の期間が満了しているものである。

被告らは、本訴において右時効の援用をする。

二  仮りに、右主張が認められないとしても本件事故は前叙のとおり原告の過失によつて生じたものであるから、賠償額の算定に当りこの点が充分考慮されるべきである。

(被告らの抗弁―時効―に対する原告の答弁)

前述のとおり、原告の症状が後遺症として固定したのは昭和五〇年三月(本訴提起のころ)である。それ故後遺障害による逸失利益及び慰謝料の賠償請求権については、本訴提起当時未だ時効期間は満了していない。

なお、原告は昭和四五年一一月二五日以降時効中断の措置には及んでいない。

第三証拠関係〔略〕

理由

一  請求原因一、二項記載の事実中、原告主張の日時場所において、被告会社保有の自動車(但し、車種の点を除く。)を被告加藤が運転中、原告運転の第一種原動機付自転車と衝突し、原告が受傷(但し、その部位、程度を除く。)したことは、当事者間に争いがなく、被告加藤の過失については、後記認定(原告の受傷機転に関するそれ)のとおりこれを認めることができるから、被告会社及び被告加藤が原告の右受傷による障害につき賠償義務を負うことは明らかである。

二  そこで、進んで原告の受傷機転(事故態様)と受傷の部位、程度及び治療経過について審究する。

成立に争いのない甲第四号証(但し、後記措信しない部分を除く。)、第九号証、原本の存在及び成立につき争いのない乙第四、五号証の各一ないし三、証人山県時房の証言ならびにこれによつて真正に成立したものと認められる甲第二号証、原告及び被告加藤(第一、二回)各本人尋問の結果(但し、原告本人尋問の結果のうち後記措信しない部分を除く。)ならびに弁論の全趣旨を総合すると、左の事実を認めることができる。

1  被告加藤は、被告会社の従業員で同社所有の普通貨物自動車を運転して原告主張の日時に、主張の場所つまり山口県宇部市常盤町二丁目の信号機の設置されている交差点に向け東進し、赤の信号に従い先行の二台の自動車の後方に続いて、片側五車線位のうち中央の分離帯(グリーンベルト)に最も近い方の車線上に停止し、青の信号で同交差点を直進して通過すべく先行車に追従し、漫然発進して交差点内に入つたところ(この点、直進車のみとは限らない交差点内における他車に対する配慮ないしその動静に注意すべき義務を怠つた過失がある。)、折から事故車の左側前方を同方向に進行していた原告運転の第一種原動機付自転車(その後部荷台に書籍を入れた木箱を積載。)が、同交差点内で右折進行すべく進路を右に転じて進み、その前部を事故車の車体左側に接触させ、安定を失して右原動機付自転車もろとも原告がその場に右側を下にして横だおしになつた。被告加藤は右交差点通過後直ちに右現場に引き返し、倒れている原動機付自転車を起こすと原告も自力ですばやく起き上り右両名で近くの自動車修理工場まで右原動機付自転車を押して行き、同所で善後策につき両者(原告、被告加藤)間で話合をなし、同被告が被告会社の従業員であることを告げて、結局その時点では、原告に治療を要する怪我も認められなかつたので右原動機付自転車の修理及び荷台の木箱の修理を、被告らの負担においてなすことを取り決め(後日被告らにおいて支払つた修理代は原動機付自転車の分が約金三、〇〇〇円、木箱の分が約金七、〇〇〇円であつた。)、被告加藤は人身事故には至らなかつたとして、当日はもよりの警察署の警察官への事故の報告もなさなかつた。

2  原告は、右処置を終えた後、宇部市から防府市まで列車を利用して帰宅したが、その後右大腿部等に痛みを訴え翌二月二九日(昭和四三年)正午ころ歩行が困難になつたとして防府市内の山県外科・整形外科医院に赴き、同院医師山県時房に「昨日バイクで転んで右の肘と右大腿部をうち、痛みを感じる」と訴えて診察を受け、レントゲン写真(右肘部)等による諸検査の結果、骨折や知覚障害、運動障害を伴う神経系統の器質的異常は認められず、単なる筋肉の軟部組織の損傷(挫傷)とこれに伴う痛みであると診断され、注射や内服薬投与の治療を受けて帰宅した。

以来、歩行は可能で、足踏自転車による通院(同医院)をなし、同種治療を継続して受けていたが、同年三月三一日に至り原告において「腰もうつていたものか、腰を痛くなつてきた」と同医師に訴え、同日腰部のレントゲン写真による検査を受けたが、骨に異常はなく、外傷も認められず、右腰痛も筋肉の軟部組織の損傷(挫傷)によるものに過ぎないと診断され、その部位についても、前同様の治療を受けることとなつた。

3  原告は、その後一里余りの道程を殆んど連日のように足踏自転車に乗つて同院への通院を続け、歩行時には独特の跛行を呈し、同医師に対しては坐骨神経痛様の自覚症状を訴えてはいたが、同医師において右自覚症状の原因を仔細に検討してみても、神経、血管、骨に異常はなく、脊椎障害に基因する坐骨神経痛、椎間板障害も認められず、客観的にその器質的原因をつかみ得ないまま同年六月ころまで、筋肉組織の損傷治療後右自覚症状どおりの疼痛ないし自発痛(運動時)があるものとして、前同様の治療を続けたが、殆んどその効果が現われないので、原告に就労をすすめ、同年七月一〇日には原告の異常な態度、訴え方、偏執的傾向等から原告の右自覚症状は心因性のそれと判断し、それ以上前記治療を継続しても治療効果を期待することはできないとして、右心因性自覚症状を残して治癒したものと診断し、同日限りいわゆる労災保険による診療を打切る旨原告に告知した。

4  その翌々日である七月一二日(昭和四三年)原告は健康保険証が携えて同院に赴き、前記山県医師に対し「やつぱり右足の痛みがあるから診療してほしい」と申出て、当日診療を受けて帰つたが、以後同年一一月一八日まで全然同院に姿をみせなかつた。

5  同年一一月一八日原告は勤務先の上司を同道して同院に現われ、前記自覚症状を訴えて再度の治療を求めたので、同医師は自由診療に切替え、理学療法―主として温熱療法―と薬物療法を施してみるのも、原告への心理的効果において全然無意味でもあるまいと考え、以来昭和四五年一一月二五日まで原告の前記足踏自転車による通院で、右治療が継続したが、原告の前記自覚症状、つまり顕著な右腰部・右大腿部の圧痛及び自発痛(運動時)の訴え、腰を曲げての独特の跛行姿勢等は一向に消退しないので、これ以上右方法による治療を継続してもその効果は全然期待できないものと判断し、同日限り、右自覚症状は固定したものと診断して、治療を打切つた。

6  原告は、その後数日勤務会社(株式会社山口日本文化通信社)へ出勤してみたが、充分な稼働ができないとして以後欠勤し、今日に及んでいるもので、今もつて昭和四五年一一月二五日当時の自覚症状と同様の故障を訴えながら全然医師の治療は受けないで、専ら家にあつて信仰等の生活に明け暮れている状況にある。

甲第一、二号証、第四号証、乙第一、二号証及び原告本人尋問の結果のうち右認定に反する部分はその余の前掲各証拠に照らして当裁判所はこれを採用せず、他に右認定を左右するに足る措信すべき証拠はなく、原告の本件事故による受傷機転と受傷の部位、程度、治療経過は右のとおりであつたものと認められる。

三  そこで進んで、右受傷による原告の被告らに対する賠償請求権につき、被告ら主張の時効の抗弁の当否を判断する。

1  本件事故当日、原告において、受傷による損害(但し、後遺障害によるそれを除く。)と被告らがその主張の事由により賠償義務者であることを了知したことについては、原告が明らかにこれを争つていないので自白したものとみなすべく、されば右受傷による損害賠償請求権(後遺障害による分を除く。)は、その日(昭和四三年二月二八日)から消滅時効が進行を始め、三年の期間(民法七二四条)の経過した昭和四六年二月末日にはこれが満了しているものであること自明である。されば後遺障害による賠償請求権以外の本件事故による損害賠償請求権(原告の請求原因三の1、3の後遺障害による分を除くその余)については、原告が本訴を提起した昭和五〇年三月二九日(記録上明らか)には、既に被告両名につき右時効が完成していた(原告はその中断につき昭和四五年一一月二五日以降何らの措置をとつていない旨自陳している。)ものといわざるを得ない。

2  先に認定した治療経過から明らかなとおり、原告は本件受傷後昭和四五年一一月二五日まで治療を受けたが(但し、途中昭和四三年七月一三日から同年一一月一八日までは中断)、前認定の自覚症状の固定により治療が打切られて現在に及んでいるもので、右自覚症状が山県医師の判定のとおり心因性のものであるとしても本件事故後旬日にして発生して来た症状で、同医師指摘の原告の特異な性格等から、その度合が或る程度増幅して訴えられていることが考えられるとしも、右症状が本件事故と直結し現存している以上、その評価のほどあいは別として一応をこれを本件事故による後遺障害とみるのが相当である。

処で、後遺障害による賠償請求権の消滅時効は、右症状が固定して顕在化した日から進行を始めるものであり(昭和四二年七月一八日最高裁判所第三小法廷判決、民集二一巻六号一五五九頁参照)、本件については遅くとも右治療打切の日である昭和四五年一一月二五日には、右後遺障害は顕在化したものであつて、当時これに基づく逸失利益、精神的苦痛に対する損害(原告請求原因三の2、3の後遺障害の分)の発生も当然予見して賠償請求をなしうる状態にあつたものと認められる。これに反して原告主張の昭和五〇年三月に症状が固定したことを証すべき証拠はない。されば、同日右請求権についての消滅時効はその進行を始め、先に触れた本訴提起の日以前の昭和四八年一一月二五日に既に三年の時効期間が満了していること自明である。原告は、前に触れたとおり時効中断の措置をとつておらず、右認定の自覚症状の外に新たな後遺障害が発生したことを証すべき客観的な資料も何ら提出していないものであるから、後遺障害による右賠償請求権についても本訴提起前に消滅時効が完成していたものといわざるを得ない。

以上の次第により、被告らの消滅時効援用の抗弁は理由があり、原告の本訴請求はその余の事項の判断に及ぶまでもなく理由がない。

四  よつて、原告の本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 中村行雄)

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